文学フリマの『普通な人』宣伝文
こんにちは。竹下喬です。
表題の通り、私が文学フリマで執筆しております、『普通な人』を宣伝しようと思います。今回は「『普通な人』って何?」とか、「どんなことが書いてあるの?」とかそういう疑問は置いておいて、どのような記事があるのかを紹介しようと思います。
まず、サークルのURLを貼ります。
普通な人の会@第十八回文学フリマオ-55 - 文学フリマWebカタログ+エントリー
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どうも、普通な人たちによる普通なサークルです。今回は会誌『普通な人』の新刊第三号(特集:オワコンテンツ・ツーリズム)を出品予定です。「よくわからないことをやります!」をコンセプトにやっていきますので、よろしくお願いします。え、「普通」って何なのかよく分からないって?まぁ、そんな深く考えず、生きれば?
これは『普通な人』の、今回の紹介文ですが、テーマは「よくわからないことをやります!」でやっています。また、編集長であり、文芸批評家である神無創竜氏が、彼のブログで宣伝しております。巻頭言や裏巻頭言なども書かれていますので、是非お読みください。
私はこの巻頭言、裏巻頭言はある意味で人間が生きることに向き合うことの意味を語りかけている文章だと思っております。もちろん、哲学や倫理学が生の意味や生命とは何かを追求していることは、われわれが持続可能な社会を支える上では重要な営みであると思っておりますし、現代文芸が戦争や社会問題を通して人間性を探求することも意味があると思っております。ですが、このような「生きれば?」という問いは、一見ふざけいているかもしれませんが、私はどこかでわれわれが生きることを深く考えすぎているのではないか、と訴えかけているものであるように思えました。もっとも、この問いをこうやって真面目に考えることは、『普通な人』の本義に反するのかもれませんが。
以下で、神無創竜氏のブログの紹介をしておきたいと思います。
【『普通な人』第3号: 巻頭言】
【『普通な人』第3号: 裏巻頭言】
なぜ巻頭言と裏巻頭言があるのか、これを考えるだけでも文フリ前の面白い前哨戦になりそうです。神無創竜氏の批評に対する、私なりの応答もございます。どのような内容かは、お買い求めになってご確認していただければと思います。
近日中に、『普通な人』前哨戦として、私自身の文章の宣伝を行いたいと思います。その文章は、『普通な人』第3号に関係しながらも、内容とはあまり関わらない文章にしようと考えております。
私も『普通な人』に執筆しており、当日お手伝いしております。どうか、このブログをお読みになりましたら、第18回文学フリマin 流通センターで『普通な人』をお買い求めください。よろしくお願いします。